しゃもじ記

学歴なし、金なし、ほぼ職歴なし。新卒を捨て3年間海外を放浪したゆとりのブログ

日本を飛びだしてから帰国するまで。これまでの海外放浪の歴史を振り返ってみた その2

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こんにちは、しゃもじです。

 

今回は前回の続き

shamojioil.hatenablog.com

 

第二章「オーストラリア編part1」です。

 

2014年4月、ニュージーランドから日本へと帰国した僕はすぐに

オーストラリアへと旅立ちます。

 

これまでの海外放浪の歴史を振り返ってみた その2

実はニュージーランドにいた時から、オーストラリアに行くことに興味が湧いていた

僕はニュージーランド滞在中に第二のワーキングホリデーを計画していたのです。

(すでに2014年の年明け頃にオーストラリアのビザを取得していました)

 

そんなこんなで日本には二週間だけ滞在して、オーストラリアへと旅立ちました。

2014年4月ブリスベンに降り立つ

ブリスベン

(ブリスベン中心街。ビジネスマンが多い)

 

最初に降り立った都市はブリスベン(正確には飛行機はケアンズが最初ですけどね…)

ブリスベンはあまり日本人にとってあまり馴染みがないですが

日本からも近く、実は人口3位を誇るオーストラリア屈指の都市です。

 

この街で僕はユースホステルに泊まりながら、仕事と家を探し始めます。

安宿

(最初に泊まったユースホステル。風呂トイレは共有で一泊35Ausドル)

しかし仕事は見つからず、絶望の日々

ブリスベン夕焼け

今回はエージェントにも何も頼らずに、航空券、泊まる宿から銀行口座開設など

全て自分で手配し所持金10万円だけを握りしめてオーストラリアにやって来ました。

 

が、来てすぐは苦労の連続でした。なによりも手持ちが少な過ぎたので、

節約を余儀なくされた上、仕事が中々決まらないという最悪の状況でした。

 

 参考記事

www.shamojioil.com

  

そしてなによりも、

 

猛烈に孤独を感じていました。 

 

誰も知り合いがおらず、学校にも行っていなかったので

当然ネットワークが広がらずに、日々孤独に打ちひしがれてました。

 

挙句の果てには、孤独に耐え切れず町にいる日本人ぽい人に

 

ひたすら声をかけまくる

 

という暴挙にまででました。

 

でも、その奇行ともいうべき行動のおかげで奇跡的に二人組の日本人の方と

意気投合して飲みに行くことができたり(金無いのに)、様々な方々と

有益なお話をすることが出来たりと、はたから見たら完璧変人ですけど

孤独はなんとか紛らわすことができました(笑)

 

飲み

(飲みに行った時。二人との出会いにはすごく励まされ感謝しています。) 

1ヶ月後、やっと仕事が決まりやっとツキが回ってくる

駐車場

(駐車場管理の仕事。駐車場に来るお客さんは100%ローカルの人)

 

それから一ヶ月後、ようやく念願の仕事が決まりました。

個人経営の食料雑貨店で採用が決まりNZの時と同じくまた販売員で働き始めます。

しかも働き始めてすぐ、そこのオーナーが市内の駐車場管理の仕事を紹介してくれ、

僕はなんと運良く二つの仕事を掛け持つことになりました。

 

大変でしたけど、この仕事のおかげでかなり英語が伸びましたね。

特に駐車場の仕事は、クレーム処理と集金作業がメインで

ローカルのオージーを相手に日々英語でやりとりしていった結果、

リスニングとスピーキングが飛躍的に上達しました。

 

知り合いが増えた

BBQ

(参加していたコミュニティクラブでのBBQパーティ)

 

そして仕事を始めてからは地域のクリスチャン主催のコミュニティクラブに

毎週参加したり、英語を学習している人達の集いなどにも積極的に参加しました。

 

英語力もついてきたおかげか、かなり行動力があった時期でした。 

インドレストラン

(みんなでインドレストランに行った時)

さらに彼女も出来た。

ゴールドコースト(写真はゴールドコーストにいったとき)

 

そしてこのコミュニティを通じてたまたま参加した語学学校の飲み会で、

知り合った6つ上の日本人女性とお付き合いをし始めました。

 

この彼女とはこれから先、一緒にオーストラリア中を旅することになります。

ちなみに今も日本で一緒に住んでいます。

カフェで修行も。いっちょ前のラテアートが描けるレベルに。

そしてバリスタになる夢を諦めきれずにいた僕は、知り合いのカフェで

バリスタ修行もさせてもらっていました。(この頃はめっちゃ行動力ありましたw)

台湾人の心優しいオーナーの元、空いた時間はこのカフェに来ては練習し、

日々特訓した結果、 ラテアートがかなり成長しました。

 

当初は残念なレベルだった、

これが

ラテアート1

 

このレベルになりました

ラテアート2

そして10月、セカンドビザ取得を目指してファームへ

スタンソープ

 

そうして月日は流れ10月、仕事も私生活も充実しすっかりブリスベンでの生活にも

慣れてきていた僕でしたが、ここで一つ大きな決断をします。

 

ブリスベンを離れ、

彼女と一緒にファームに行くことにしました。

 

理由は違う土地でお金を稼ぎながらセカンビザ(もう一年滞在することが出来るビザ)

を取得したかったからです。

 

ブリスベンを離れ、僕らが選んだ場所は

 

スタンソープ

スタンソープ2

ここはブリスベンから約200キロ離れた田舎町で、アップルが有名の

オーストラリア有数のファームエリアです。

オーストラリアのファームというと、「バンダバーグ」や、「ガトン」

といった町が最も有名で仕事もあるのですが、事前のリサーチでこれらの町には

かなり悪い噂があって日本人ばかりで全然稼げないということがわかっていたので、

 

あえて誰も行かないようなマイナーな町のスタンソープを選びました。

そんなこんなでスタンソープに移り住んだ僕と彼女は労働者が集うバックパッカーに

泊まり、オーナーから豆のピッキングの仕事を紹介してもらいました。

バックパッカー

(滞在したバックパッカー。季節労働者で溢れかえっている)

 

紹介してもらったファームはイタリア系オーストラリア人の家族が経営している

巨大農園で、豆や、ズッキーニ、ピーマン、シルバービーツ(不味い野菜)などなど

数多くの種類の野菜を育てているところでした。

 

面積も広大で、畑を移動するのも車が必須で、もう、

 

広すぎて畑の中に湖まであるレベルでした(マジのやつ) 

ファーム1(見えてる範囲全てパプリカ畑。これで全体の10分の1程度)

 

でも、この時やっていた豆を収穫する仕事は

めちゃくちゃ楽で結構なお金を稼ぐことができました。

(大体一週間で900ドルぐらいだったかな?)

 

そして車も購入

そうして稼いだお金で、中古のトヨタカムリを購入しました。

カムリ

(中古で購入したトヨタカムリ。走行距離は驚きの28万キロ

こいつは今後長きに渡って、僕らカップルの足となり、活躍してくれます。

滞在先では仲間にも恵まれる

寿司パーティー

(滞在先のバックパッカーで仲間と開いた寿司パーティー。)

 

滞在先のバックパッカーはヨーロピアンばかりでアジア人は僕らカップル以外

全くいませんでしたがそんな事は関係なく、みんなすごくいい人達でした。

 

特に左手前のエストニア人カップル、マーティンとケリーは聖人のような人達で、

僕らが困ったときはいつも無償で助けてくれる親切で温かいカップルでした。

 

しかも仕事場が一緒ということもあり、朝から晩まで毎日

仕事先でもバックパッカーでもいつも一緒でした。

 

こんな仲間達に囲まれながら僕らカップルはファーム生活を楽しんでいました。

綺麗な夕焼け(美しい夕焼けが広がるスタンソープの町)

 

ですがこの後、順風満帆だった僕らに不幸がやってくるのです…

 

今回はここまで。

 

続き

shamojioil.hatenablog.com